2024年5月14日、株式会社IDDKと金沢大学、文教大学、立教大学の教授らを中心とした共同研究グループが、宇宙空間で誘発される骨密度低下、放射線障害、概日リズム障害を予防する治療薬の開発を目指すことを明らかにした。
この研究開発は、民間の人工衛星による魚のウロコの宇宙実験を3年後に計画しており、JAXAの宇宙環境利用専門委員会の公募事業に採択されている。
本記事では、共同研究グループが魚のウロコを用いた宇宙実験からどのように宇宙疾患の治療薬の開発を目指すのかをご紹介します。
宇宙環境が人体に与える影響
現在、有人宇宙開発は急速に進展しており、複数の国や企業が活発に活動している。
国際宇宙ステーション(ISS)では各国の宇宙飛行士が共同で長期滞在し、科学実験や技術開発を実施。
また、月や火星の有人探査に向けた宇宙開発や、民間人を対象とした商業宇宙旅行の実現に向けた開発が世界中で活発に行われている。
しかし、宇宙環境は人体に影響を及ぼすため、宇宙に滞在するとさまざまな部位に障害が生じることが考えられる。
そのため、月や火星への人類の進出、宇宙における人類の居住を可能にするためのリスク評価およびそれを克服するための予防・治療薬の開発が喫緊に求められているのだ。
そこで、金沢大学環日本海域環境研究センターの鈴木信雄教授と理工研究域生命理工学系の小林功准教授、文教大学の平山順教授、立教大学の服部淳彦特任教授と丸山雄介助教、IDDKを中心とした共同研究グループは、以下の3つの宇宙環境に注目。
- 微小重力
- 宇宙放射線
- 地球上のものより極端に短い明暗周期
1つ目に、微小重力下では地上とは異なり、人体はさまざまな影響を受ける。
例えば、体液循環が変化し、約2Lの水分が頭部と胸部に移動することでムーンフェイス(顔に脂肪がつき、満月のように丸くなった状態)になり(下図B)、骨や筋肉は萎縮(下図D)。
また、骨は1ヶ月に約1パーセントの割合で骨量が減少して尿からカルシウムが排出され、それに伴い腎臓結石のリスクも高まる(下図C)。
2つ目に、宇宙では大量の宇宙放射線が降り注いでおり、その一部は宇宙飛行船の壁を突き抜けるため人間の細胞を傷つける。
3つ目に、宇宙空間での明暗周期は地上のものと大きく異なるため、人間の体内リズムが崩れる可能性がある(下図A)。
例えばISSは地球を90分に1周するため,45分毎に明暗周期が繰り返される。
このように、特殊な宇宙環境は人体に非常に大きな影響を与え、さまざまな疾病を引き起こすのだ。
予防・治療の鍵はメラトニン!?
これまでの研究成果
金沢大学の鈴木教授を中心とする研究グループは、2010年にスペースシャトルアトランティス号を用いて実施した宇宙実験「Fish Scales」の実績および研究成果を基にして、IDDKと連携した民間の人工衛星を用いた宇宙実験を3年後に計画している。
Fish scalesでは、骨と非常に似た構造や機能をもつ“魚のウロコ”が実験体として用いられ、(1)微小重力による骨量低下および(2)宇宙放射線の影響が評価された。
また、同グループはISSにおける日本の宇宙実験棟「きぼう」においてもウロコを用いて宇宙実験を実施。
これらの実験によって、以下のような結果が得られた。
- 宇宙空間ではメラトニンの産生量が低下
- 宇宙空間では骨を破壊する細胞が活性化し、骨組織の破壊が引き起こされる
- メラトニンは骨を破壊する細胞の活性を抑制する
- メラトニンは放射線で傷ついた細胞を助けることができる
以上の結果から、同研究グループは、メラトニンは微小重力および宇宙放射線の影響を予防・治療できる可能性があると結論付けた。
加えて、メラトニンは光を利用して人間の体内時計を調節するホルモンであることから、宇宙空間の明暗周期で乱れた(3)体内時計の障害もメラトニンにより治療できる可能性が高いと考えられたのだ。
コラム:なぜ魚のウロコを使うのか
魚のウロコは骨と同じように体を支えたり保護したりする役割を持っており、骨細胞と骨を作る細胞(骨芽細胞)、骨を壊す細胞(破骨細胞)が共存している。
そのため、魚のウロコを用いることで宇宙環境が骨に与える影響を評価することが可能なのだ。
今回の宇宙実験の概要
今回、金沢大学の鈴木教授らを中心とする研究グループとIDDKが計画する宇宙実験は、ゼブラフィッシュのウロコを用いた実験である。
ゼブラフィッシュの特徴は、体内時計が人間のものと非常に類似していること。
ゼブラフィッシュの「光を利用して体内時計を調整する」機能を壊したモデルにメラトニンを投与することで、宇宙環境による体内時計の障害に対してメラトニンが効果あるのかを検証することができる。
IDDKの宇宙バイオ実験プラットフォーム
そして、今回はISSのきぼう実験棟ではなく、IDDKの宇宙バイオ実験プラットフォームを利用して宇宙実験を行うという。
これまでいくつもの宇宙実験を行ってきたISSであるが、2030年にはミッションを終了するためその代替となる民間サービスが求められており、IDDKが開発する宇宙バイオ実験プラットフォームはその1つである。
IDDKは、光学技術と半導体技術の融合により、半導体のマイクロチップの上に観察対象を乗せるだけで顕微観察ができるという、従来の顕微鏡とは全く異なる顕微観察技術MID(マイクロイメージングデバイス)を開発した企業。
同社はこのMIDをコア技術とした自動宇宙バイオ実験装置の開発を進めており、国内外の無人小型衛星を使用した宇宙実験サービスの提供を目指す複数の企業と提携している。
日本初民間主導の小型衛星を利用した地球低軌道での宇宙バイオ実験プラットフォームの構築を目指し、2024年に実証実験を実施し、2025年からサービスを開始する予定だという。
実験の優位性と独創性
今回の実験の優位性と独創性は、以下の5つ。
骨モデルとしてのウロコ
ウロコは、骨を作る細胞と破壊する細胞、そして骨細胞と同様の細胞も備わっている上、培地に入れて培養するだけなので非常にコンパクト。
搭載可能なスペースや重さが限られた人工衛星で実験する場合に有利である。
また、ウロコの骨芽細胞と破骨細胞を蛍光標識することにより、IDDKの顕微観察技術で軌道上で解析することも可能という。
ウロコの低温での長期間培養
これまでの実験より、少ない機器でウロコを宇宙空間で長期間(少なくとも86時間以上)培養できる可能性が高いため、人工衛星により宇宙実験を実現できる。
さらに、ウロコは地上で長期間の培養を行うことができるため、ロケットの発射遅延にも対応できるのだ。
メラトニンの宇宙疾患の予防・治療効果
メラトニンには多様な作用があり、宇宙環境で人間が生活するための優れた予防・治療薬となる可能性がある。
実際に地上では、国内においてもメラトニンの成分を配合した小児用の睡眠促進薬(メラトベル)が市販されている。
今回の研究ではメラトニンの骨芽細胞等に対する作用、放射線との複合影響に加えて、ゼブラフィッシュのウロコを用いて体内時計の障害に対するレスキュー作用を検証するという。
ウロコの骨芽細胞および破骨細胞の顕微観察
顕微観察については製品化にも成功しているMID技術をベースとしている。
すでに宇宙ミッションに向けた蛍光観察方式の開発には着手しており、軌道上でも宇宙実験の成果を検証することが可能とのことだ。
人工衛星によるサンプルリターン
IDDKは、宇宙バイオ実験プラットフォームで、実験を行ったサンプルを地上に戻すサンプルリターン技術の開発を進めている複数の人工衛星パートナーと提携。
今回の研究の成果を宇宙実証する時期には、すでにサンプルリターン技術を実証済みのパートナーを選定することで、成功確率は高くなると考えられている。
また、ISSで宇宙飛行士が行うような実験のための操作を自動で実施することで、宇宙環境で引き起こされる疾病に対するメラトニンの予防・治療効果を無人の人工衛星内で解析することができるのだ。
さいごに
いかがでしたか。
宇宙環境によって引き起こされる症状の予防・治療薬の開発は、将来の有人宇宙探査や商業宇宙旅行の安全性を飛躍的に向上させる可能性がある。
また、この研究成果は宇宙探査だけでなく、地上での医療技術にも新たな応用が期待されるだろう。
同研究の今後の成果に大いに期待したい。